3月5日(日本時間3月6日)

 セドナのホテルを午前7時に起床してすぐに、朝食を兼ね散歩、天気は快晴、気分良好、ホテルの外に出て、一人道路沿いに、30分ほど歩くがただ大きな家並みが続き、店もまだクローズ、やっと、ブレックファースト、アンド、ランチの小さなレストランを見つけ朝食、まわりは地元の常連客がほとんど、入った時は少し注目されましたが笑顔でかえすと後は誰も気にしない、余り量の多くない、日本並の朝食を心がけトースト、サラダ、コーヒーだけですましました。コーヒー、コーラは飲み放題、価格も9ドル程度、10ドル渡して店を出ました。
 帰りはホテルの入り口を間違え、聞く人もいないので、ぐるぐるホテルのまわりまわってやっとセドナの大きな岩が目印になり、かえり着きました。出発してホテルのお世話になったセドナ商工会の観光マネジャー佐渡様にお会いするため、商工会によりました。
 以前”英会話のさくら”の米津さんもこの近くで勤めていたとか、エロールさんと話す時、流暢な英語で話していましたが米津さんの話になると急に日本語に米津さんの近況、昨年、日本に帰ったとき、彼女に神戸の町を案内していただいたことお世話になったことと、急に打ち解けてセドナが急速に発展して観光客も昨年に比べ30%も伸びたと誇らしげに語られていました。日本の女性はすごい、アリゾナの片田舎で十数年、周囲の環境の全く違う世界でこつこつ働き商工会の観光マネジャーになるとは、ここにも素晴らしい日本人女性を見つけました。
 グランドキャニオンの途中、テレビドラマで有名なルート66の中心、フラッグスタッフの町へ、昼食後散策、一人でぶらぶらと歩くと、静かな町並みに興味がそそられ、ゆっくり散策する人、それを破る列車の轟音、長い貨車を引いて走る貨物列車、馬具を売るインデアンの老夫婦の店で、馬の鞍が目の前で見るとこんなに大きいものかと驚き、老夫婦との簡単な会話を楽しみ、遠くには雪の残る山々を見てはこれから行くグランドキャニオンもきっと寒いのかな一とふと思いました。
 グランドキャニオンヘの道はオーク林を抜け、荒涼とした枯れ草の草原へ、そして残雪ののこる松林、4時頃クオリーティインに到着、ここが今夜の宿泊地、チェックイン後、すぐに、グランドキャニオンの中でも夕陽の最も美しいヤババイポイントヘ、2時間ほどがんばりましたが、あまり岩が焼けず少しがっかりしました。しかし日没後になって空の雲が真っ赤に染まり、感激!夢中でシャッターを切りました。
 ふっと気がつくとなんと寒いことか、厚着をしてきたつもりでしたが手ががたがたふるえだし、あわてて車に帰りました。ホテルで風呂に入りやっと落ち着きました。
 この旅はまだ中途ですがエロールさん、ボブ、リンクさんの親切さ、誠実さは北村さんが15年間にわたり姫路へ着たTEOEメンバーを暖かく迎い入れ接待した結果だと思いました。北村さんの奥さんは活発で大変教養もあり、家事全般、会社の会計と北村さんを支え素晴らしい人の印象を受けました。ただエロールさん、北村さんの体力の衰えが気がかりです。神田さんは新婚旅行を兼ねているようで常に奥さんをきづかい、将来、写真家として二人やっていくことを考え必死に何かをつかもうと見受けられました。エロールさん、ボブさんは車中でもホテルでもずっと二人で話つづけ、笑い、本当に深い友情で結ばれているのを感じます。
3月6日(日本時間3月7日)

 今朝午前5時、起床、寒い、これからグランドキャニオンヘ出発、昨日と同じヤババイポイントでの撮影、寒い中、日の出を写そうとじっと待っ、待つこと1時間、太陽が上ったが薄曇のために岩に反射する光のコントラストが思ったほどよくない、撮影を早々にあきらめホテルに引き上げました。
 ホテルをチェックアウト後、もときた道をフラッグスタッフヘ正午前着き、ランチ、その後ボブ,リンクの案内で町の写真事務所、写真画廊そして写真スタジオを見学、そのスケールの大きさ、機材の豊富さ、製作する人の若さ、活発さに驚き、広告写真、ポストカード、ポスター、写真集と、この小さな町にこれを製作してもこれを支える需要があることに深く感銘を受けました。
 フェニックスヘの帰途アリゾナ大学の雪の残る深い森の中に姫路の陶芸家、今は亡き山本氏の登り窯の製作現場を見学しました。今も登り釜は後輩の人に引き継がれ、管理され製作されていました。その一隅には小さい小屋があり、小屋の回りに風雨にさらされた窓ガラスがありました。その奥に茶色に変色した写真は彼の製作中やこの'小屋を建てた当時、姫路から訪れた人々の写真の姿をみて、フェニツクスと姫路の友好の深さに在時を偲びま一した。この小屋がもっと整理、整頓、管理され記念館として広く開放されたらとふっと思いました。
 午後2時ごろフェニックスヘ帰りました。夕方に開催されるファーストオープンセレモニーまでに時間があり、ボブ、リンクさんの家へ案内されました。車3台が入れられる駐車場、黄色のアフリカディジーが一面に咲きこぼれる広い庭、その真ん中にサボテンの木、両側にはオレンジの木にボブの奥さ々は小太りの方でした。Tシャッ、半パンツ、の普段着で満面の笑顔で私たちを出迎え、家の中を案内して頂きました。
 退職した夫婦だけのこの屋敷、応接間、キッチンルーム、書斎、書庫、ベッドルーム、バスルームの広さ、衣装室の中には多くのドレス、シャッツ、靴,帽子、宝石、アクセサリーと驚くことばかりの量でした。更に驚いたことにゲスト用のベッドルーム、冷蔵庫、バスムームが独立した形であり、そして各部屋、廊下にはボブさんが今まで世界各地を旅行して写した写真、家族写真が額装され展示されていました。裏庭には大きなプール、バーベキュウを楽しむテーブルセットと、よく整理整頓された屋敷を拝見して、日頃のこの夫婦の暮らしぶりに少しはふれた気がしました。アメリカの中流階級の上の生活環境は敷地面積、屋敷の広さには私が想像した以上のものでした。
 夕刻ファーストオープンレセプションが開かれると会場に向かいました。ファーストオープンレセプションとはなにかよく解りませんでしたが日本で言えば展示会の準備、会場は広い古い倉庫の中、TEOEメンバー総出でライテイング、作品の展示、会場案内のポスター、オープニングの式場づくりをしていました。私は4人(デニス氏、スクニー氏、島内さん、神田さん)の80点の作品を初めて見ました。デニス氏、スクニー氏の作品は本当に日本人の生活、祭りを精力的に撮影した作品であり彼等の目をとうして日本の原風景を表現していました。島内さんは何回かの訪米でもあり彼の写真に対するポリシーとこだわり、内面にある心を強烈に表現した作品でTEOEメンバーにない個性的な作品でした。会場では多くの人が立ち止まり、多くの時間をかけてその作品の中にあるメッセージを理解しようとじっと見つめていました。神田さんの作品にも視覚の面白さ、素晴らしい構図、によって表現され彼のまじめな人柄が反映されていました。午後7時ごろ、会場に現れたデビット、スミスと9年ぶりの再会を果しました。
 9年前、彼の家に6日間、津田さんと滞在してした素晴らしい思い出があります。荒々しいネイティブアメリカの風景の撮影、彼等の率直で親しみある心づかいに、外国人に対して今まで感じなかった人間同志の友情に私の心は洗われたことを思い出しました。それ以来、外国人も日本人も心が触れ合っ仁ときは人間、同じ心を持つことを実感しました。そのときもっと英語が出来ればお互いの心が通じ合えたのではないかと痛感した思い出がありました。彼とのスポーツレストランでの食事はお互い、彼も私も白髪がまじり、9年の歳月を感じますが彼の率直さ、クールさ、変わらず、津田さんのこと、私の仕事のことと必要なことだけを話し9年ぶりに会った感じはなく『See you again』といって別れました。
 この日、最も嬉しかったこと、それは2年前、姫路を訪ねた時ポールオニール氏が私の父の木彫りの工房で撮影した、父のポートレート写真をプレゼントされた時です。本当に父の表情をよくとらえられていました。さすがプロカメラマンと感心しました。そ。の彼も去年の秋、金融危機の影響で50歳以上の管理者はリストラの対象になり職を辞しました。この町にも金融危機の影響が及んでいることをおらためて実感しました。彼にはあなたほどセンスとテクニックがあるなら世の中ほって置かないよと慰めましたらThank youと言って苦笑いしていました。

photo by akira I. (2)